平成28年8月20日 平成曳山製作-方針を転換

伝統技術による制作から 現代技術の活用と自由な発想に

 全国唐津っ子連合(唐津市、代表=進藤幸彦)は、昨年の唐津くんちの開催期間中に、「記憶に残そう『幻の曳山』展・第3弾」を大手口センタービルにて開催し、ナガス鯨を主題とした「恵比寿と鯨山」の10分の1模型と、セミ鯨の粘土模型(試作)を展示しました。
 加えて、本紙『唐津新報』第16号(本年1月20日発行)では、鯨漁が盛んだった呼子ではセミ鯨が主流だったことから、セミ鯨を主題とした実物大の「平成曳山」を本年3月から制作開始と伝えました。
 実際にそのおくんちの直後から、実物の10分の1模型を制作するための、粘土模型の制作に先ず取りかかりましたが、この段階で早くも大きな壁にぶつかりました。
 セミ鯨の頭部は、どちらかと言えば異様とも思える形をしていて、唐津曳山の風格を持ちながら、鯛山のような親しみやすさを表現するのが、思ったようには簡単なことではなかったのです。

江戸セミ鯨
セミ鯨 原本:山瀬春政著「鯨誌」宝暦10年(1760)

 制作開始予定の3月を過ぎても造形は固まらず、合計7体の粘土模型を試作しましたが、なお満足するには至りませんでした。
 暗礁に乗り上げた同連合は7月、理事長・進藤幸彦を中心に善後策を協議しました。その結果、セミ鯨については残念ながら満足な作品ができなかったことと、既に闘病生活を余儀なくされている同理事長の体調を考慮して、和紙と麻で形を造り国産漆で仕上げるという、唐津曳山の伝統的な制作技法で平成曳山を制作することを、遺憾ながら諦めるという苦渋の決断をすることになりました。
 これまで、漆技術の後継者を唐津で育てることを同連合は重要視してきましたが、前述のような状況では如何ともしがたく、やむを得ない選択であったと思います。
 しかしながら、呼子町の有志たちは既に平成曳山の受け入れに動き出していて、その期待を無にすることはできません。なんとかそれに応えたい、という同理事長の想いがあり、同連合として「セミ鯨の曳山」を制作すること自体は継続することにしました。しかし、受け入れた後に呼子町が負担する平成曳山の維持管理費については、できる限り軽減する方向で検討することとしました。
 現代の技術を活用して、できる限り補修が不要で長期間使用でき、保管のために格別の設備を必要としない構造と仕上げをめざし、その造形は唐津曳山の伝統に縛られず、玄界灘に開かれた呼子のまちを象徴するような、自由な発想を土台にした新しい曳山の形であるべき、と考えています。
 呼子町の人々に喜んで使ってもらえるような平成曳山を目指しています。

全国唐津っ子連合 理事 進藤正昭

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